NO MUSIC,NO LIFE(貪るように)
小西さんは神の高みを知ってしまったかのようだ。
「カアリイ」はひどく美しいアルバムだ。だけれど、わたしの魂をもう揺り動かさない。
ポスト・ピチカートには菊池成孔のスパンクハッピーがあるさ…
などと思っていたらボーカルの岩澤瞳ちゃんが病気で引退してしまった。
それでもスパンクハッピーは存続しつづけるようだ。詳しい情報がまだ届かない。
ぼんやりしながらデートコースペンタゴンロイヤルガーデン(以下DCPRGと略)を聴きながら、
「ああ、これを爆音で聴きながら踊りたいなあ」と考えていたのが数日前。
実はその日、本当にDCPRGのライブが東京で(それこそ超爆音で)行われていたのだった。
きょうDCPRG主催の菊池成孔のホームページを見つけて読んで、はじめて知った。
ライブ後に送られてきたメールがたくさん紹介されていたのを読んで、むちゃくちゃ悔しかった。
みんな踊り狂ったのだ。そして音楽のエクスタシーを体験した。
年内にあと一回だけ東京であるそうだ。
わたしは10年前に「自我の底が抜けた」と思った。
さあ、これから自由になれる、と喜んだのはよかったが、
そこは不毛の地の真ん中にぽつねんと立っているようなものだった。
必要なのは「交通」だ。しかしわたしは10年間誰とも出会わなかった。
菊池氏の文章を読んで、わたしは安心した。
わたしと同じようにもがきながらも少しづつ前進する人だったから。
*
「フロイトが設定した自我のモデルの底部が無限に割れ裂けてる事は知ってるだろ。僕は、あれを割ったのはベースの音だと思うんだ。ベースの重低音は自我の底にまで届くんじゃなくて、自我の底を抜いてしまったと思ってるんだ。だから、ハーモニーやメロディが溢れてくる。だから、調和の取れた、美しいデザインや構造を持った、エレガントで野蛮で、強烈なサウンドは、人の自我を書き換えてしまう。自我は物語だから、いくらでも書き換えが可能だ。僕も書き換え続けている」
菊池成孔 fontain/degustation 日記 8/31 より抜粋