謹賀新年

あけましておめでとうございます。2005年・酉年になりました。友人の野上享介は年男だそうで「今年はがんばらないかんわー」と言うておりました。
今年の元旦、二日は京都の野上家で過ごしました。
昨年末、inu-kunと非常に根源的な家族のありようについて口論し、一緒にいたくなかったので愛媛の母親にお金を送ってもらって、そのお金で京都へ帰ったのでした。
(わたしの実家は大阪の大東市にあったのですが、父親が亡くなり、母親は祖母の住む愛媛県に居を移してしまったので、わたしの「関西に帰る」というのは野上家にいくことなのです)
野上の嫁であるjuriちゃんとは長い仲で、昔から思いあぐねるようなことがあるとjuriちゃんに相談してきたものです。彼女はちゃんと話を聞いてくれて私とは全く違う視点でモノを見てズバズバいってくれるので、彼女と話すたびに目から鱗がとれる思いがするのです。それで、お金が無いのにもかかわらず彼女にアドバイスを貰いにいったのでした。
inu-kunとのいざこざについては「要するにお金が解決してくれるんちゃう?あんたがんばってお金儲け。それで経済的に上位に立って別居してみたら?」とのこと。Sさんについては「私ならもう関わらへんわ。そんな人、生理的に会いたくないな。いろいろ怒ってるのはわかるけど、これまでのことは全部忘れて縁切るなあ」とも。
juriちゃんがえらいのは、有限実行のひとであるということで、自分の倫理も美意識も確立しているということ。本業が建築家なので、部屋はいつ行っても参考になります。


翌日はSYくんに会いました。彼は昔、私の恋人で、一緒に住んでもいました。5ねんくらい付き合いましたが、お互いに金銭的に苦しくなり、同棲を解消して、それから半年ぐらいしてわたしはinu-kunと結婚しました。inu-kunはシネクラブ周辺ではとても有名人で、当時は相当ショックをうけていたようです。最初に京都に彼を呼んだのはSYくんで、そのときはろくに口もきけないほど緊張していたそうです。
SYくんはわたしがうつ病で社会から沈んでいた十年間でいろいろと書く仕事でキャリアを積み、ジャーナリストとしての道を歩んでいます。昔は私に対して随分引け目をもっていたのですが、すっかり対等にしゃべれるような自信をつけていました。会わなくなって十年間、その間の重みが二人の間にどーんと横たわっていて、昔のように気安くしゃべりかけられませんでした。その距離感がすごくショックで、彼と会った後、すごく胸がどきどきしてしょうがなくて、薬を飲もうと思って近くのエクセルシオールカフェに飛び込んで、キャラメルモカを2杯飲み、たばこを一気に9本吸って、どきどきを鎮める薬を飲もうと思ってカバンをさぐったのですが、出てきません。全部の薬を一緒に入れてきたのでこれはまずい、と思いjuriちゃんに電話をすると2,3時間で用が済むから待ってて、とのこと。
ぼんやり河原町通りを歩いて、ちょこっと店を見たりして、ぶらぶらして、300円ショップに入ったら目の前にuriちゃんと野上君がいました!京都は狭い街なので、こういうことは不思議でもないのですが、これだけジャストタイミングで会うというのはびっくりしました。
juriちゃんによると若者の活動エリアは三条烏丸に移ってきているそうで、店もそのあたりにちょこちょこできているそうです。その象徴のような集合ショップ・新風館へいき、ジラフというカフェでちょっと休憩。元旦で気が緩んでいるのか店員のモチベーションが下がっているのか注文をなかなか取りに来なかったり、変なタイミングで「及びになりましたか」と訊いてきたりしてました。でもそんなに接客の態度が悪いというわけでもありません。昼間、小さなサンドイッチしか食べてなかったのでドライカレーを頼んで、そのあと野上君がコーヒーをおごってくれました。ここでもわたしの話になって、ふたりでいろいろ親身なアドバイスを受けて(野上君がはいるとちょっと話があっちこっち飛ぶのですが)歩いて野上家へ帰り、荷物を全部引っ張り出してみると大きいカバンの一番底に入っていて、これじゃあ持っていても茶店ではだせないよなー、と笑い、その足で東京へ帰りました。一泊二日の強行スケジュールでしたが、非常に有意義な帰郷でした。